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PROFILE

芝原寛子
はじめまして、

 

〜ラテール〜
アロマテラピーヒーリングサロン

 

オーナー 桜井 利朱(さくらいりみ)と申します。

 

私は、幼少期から結婚する迄 大阪で生まれ育ちました。

 

両親は若くして鹿児島から大阪に仕事を求めやって来、

一家の暮らしを安定させたい一心で懸命仕事に打ち込む日々。

 

そのお蔭で、私は何不自由のない比較的裕福な環境の中で育ちました。

 

私には、8歳違いの行動力がある優しい姉がいます。

 

いつも何かと助けてもらい、可愛がってもらったお陰で、甘え上手な、

典型的なマイペースな末っ子。

 

ここまでの話では、何も起こりようがないごく普通の話です。

 

私が小学生になった頃から、

家族が懸命に頑張りすぎたしわ寄せが

少しずつ出始め気づけば、家族みんなの一家団欒や、

ゆとりの語らいはどんどん減り、

私の話しに耳を傾けてくれる、

穏やかな優しい父と居る時間がほとんどでした。

 

楽しいながらも、私はどこか寂しさを感じながら夕食を終えていました。

当時思春期を迎えた姉と両親はしつけに関して、言い争う事が増え、

とっても頑張っている理想の両親と、

私にいつも優しい姉がケンカをしている所を見るのが辛くなりました。

 

次第に自分の感情を表に出さず、期待通り手がかからない子。

 

せめて私だけは、家族の手を煩わすような事はしてはいけない。。。。

 

知らず知らずのうちに、相手が望む好ましい存在でいる事を演じ始めていました。

 

そんな態度は、

年齢に見合わない、とてもクールな私の一面を作り上げ、

それをやり続ける事で、殻にこもり自分を守り続けました。

 

思春期の頃には、仕事を優先する母に反発し 家出。

 

私は感情を出さない代わりに 無言で距離を置いていました。

 

決して家族仲が悪い訳ではありませんでしたが、すれ違う時期は続いていたので、

当時の私はどことなく言いようの無い息苦しさを拭えず感じていました。

 

そんな時、ひょんなキッカケで

高校2年の時、主人と知り合い22歳で結婚。

 

周りもうらやむほど順調な交際を経てつかんだ幸せでした。

 

当時の私は、どこか重く息苦しかった環境から、結婚したら楽になる、楽に…。

 

解放される!!と漠然と思っていました。

 

この決断をした時は、穏やかで幸せ感いっぱい、

不安もありましたが、無性に安心した事をはっきりと覚えています。

 

主人は、長男跡取り息子。当初、ほんの短い間でしたが同居も経験。

 

若くして嫁ぎ、慣れない生活環境で、気持ちが落ち着かなかった覚えがあります。

 

ほどなくして家業の東京支店への転勤が決まり、

これを機に引っ越し、夫婦同じ職場で仕事をスタートさせました。

 

若さゆえ、いくつもの壁にぶつかり、互いに傷つけ合いながら、

無知であるが故にストレスを抱えながらも互いに頑張っていました。

 

2年後には、待望の子宝に恵まれ男の子を無事出産。

 

妊娠出産期間に、主人の裏切りが発覚。

 

ショックの大きさと言葉にできない悔しさと憤り、将来への不安を感じたものの、

出産と育児、時の過ぎ行くままに 受けた心の傷を

また、幼少期と同じように、全ての感情を心の奥深い所へ追いやり、

日常を過ごして去りにして来ました。

 

生後まもなくアトピー性皮膚炎を発症した我が子の顔は赤く、ぶつぶつだらけ。

 

お風呂上がりもジクジク汁が出ていたので見るのも辛く、

身寄りがない土地での子育に心細くなり、次第に行き詰まり、

閉塞感と孤独を感じていたが、気づくと友達も増え、

育児を楽しみながら出来るまでになり、

子供を育てる喜びに支えられ心地よい充実感を得られるようになっていました。

 

ところが、子育てに夢中になるあまり、主人との関係は縮まるどころか

どんどん心の距離が出来ていた事を、また異性問題で知る事に。

 

この頃、既に事業独立をしていた為、互いにストレスまみれの日々。

 

追い打ちをかけるかのように思っても見ない不測の事態が起きたのです。

 

突然、資金繰りに行き詰まりました。

 

設立したての会社に銀行は融資をしてくれる訳も無く・・・・。

 

数千万円の補填は恐ろしく、逃げられない現実

なんとか貯蓄を切り崩し、両親に借金をし、給料も取れず。。。

 

子供の学費だけは確保し必死でした。

 

無事完済出来るように 神にすがり 早朝、

夜中人知れず誰もいない会社で地道に願掛けをしたのもこの頃。

 

この頃夫婦で話しあうも、ぶつかり合うばかり。

 

不信感と距離は埋まる事はありませんでした。

 

夢を持っていても仕方ない。

 

自分の思うように何一つ行かない。出来ないじゃない!

 

と当たりどころのない憤りを強く覚えました

 

当時、一番辛かった事。

 

自分には向けられていない主人からの愛情。

 

妻として女性として、完全に自信を失い、これでもかと打ちのめされた日々・・・。

 

心配する事ばかりが目の前にやってくる・・・・。

なぜ、同じ嫌な過ちばかりが起きるのか・・・・。

 

逃げたくても 子供の母親は自分だけ。絶対に逃げ出せない。

 

会社も自分が放り投げてしまったら、つぶれてしまう。

 

社員に迷惑をかける。

 

なんとか事態を自分で解決しようと、もがき苦しみました。

 

逃げられない環境の中で 出来る限り平静を装い、

周囲に迷惑をかけないよう、悟られないように人知れず苦しんだ。

 

このとき初めて 死にたいと思った時期でした。

 

当時、平均的な体重から、6キロも減りやせこけていた時期もありました。

 

しばらくして皆の努力のお蔭で事業も安定し、自分の気持ちに向き合えた頃に

「自立をして全てを見返してやりたい!」と強く思い、

アロマテラピースクールへ通学し始めました。

 

そこで、自然の持つ力の偉大さに触れ、人体・心理作用について学ぶ事がとても新鮮で

言い表せない程、充実していました。

 

トリートメント実習などで不特定多数の方の体に触った瞬間に、

その方のエネルギーを感じ取ったり、神社へ参拝した時に、

メッセージを聞いた経験がきっかけでスピリチュアルを勢いのままに学び始めました。

 

アロマセラピー、レイキ、カードリーディング、シータヒーリング、レインドロップ。

 

純粋で大きなエネルギーと触合い向き合う事により、少しづつ気づきが得られていきました。

絡まった感情、見ない事にしておいた心の傷、カチカチに固まった心。

 

これらの感情達をまるで同士のように大切に扱っていました。

 

驚くべきはこの不健全な感情を、すべての原動力として生活していたのです。

 

自分の心模様は鏡のごとく 目の前に映し出され、現実が作られていく様子を知り、

シータヒーリングを通して思考も変えられると言う体験をしました。

 

すべての勝手な思い込みによる自分の枠組が 窮屈を作り出し、

押さえ込んだ感情を刺激し、これでもか!!と煽られるかのように

目の前で相手から感情を出され続けていた事。

 

すべては自分の思考がそうさせていた。

 

ならば、心模様をかえよう。 目の前の現実を自分で創造し変えよう。

 

自分が納得してやる!そう決めました。

 

すると、

すべての暗い部分の過去に関わった人々との錆び付いた感情がゆるみ、

おどろく程、自分らしく歩みを始める事ができました。

 

いつしか気づいた時には家庭の中も穏やかになり、

関係性がみるみる良くなり状況がどんどん好転して行きます。

 

そして今はそれを喜びとして しっかり味わう事ができます。

 

20代後半ばから30代をほぼ 苦しみの自分に費やしてきました。

 

この時期もあってこそ、今の私です。

 

私は今、新たな視点で人生を歩いています。

 

私に出来たのだから、女性として、妻として、嫁として、経営者側の視点や経験、

学びをやめない者としての自らの経験を交えながら、

自然の恵みに寄り添い、あらゆる豊かな良い流れを循環させ

その方に合った最高最善を見つけ、身近な心と身体の癒しを提供させて頂きたいと思っております。

 

これらの願いと愛を込めて、この度〜ラテール〜アロマテラピーヒーリングサロンを

オープン致しました。

 

どうぞ末永くおつきあい下さいますよう、どうぞよろしくお願いします。

沢山の感謝と愛をこめて‥。