小さな自分と私と炎の三者会談 その①

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今日は、自分について起きている事を少し綴りたいと思います。

 

私は、夏以降から自身に起きた問題から、少しづつ自分を取り戻しつつあります。

それは、色々なセッションや日常の出来事から心が大きく揺れたり、息を吹き返したり・・・

そして、大きいポイントは、いつも支えてくれる人々の「愛」から、じわじわ気づきを得て

半歩、一歩・・・と新たに芽生えた自分と会話をしています。

 

その中で、「ちいさな自分の存在」に気づく事が出来ました。

ずーーーーっと、私の中で生きていた「ともこちゃん」です。

ただ、「生きていただけ」の状態にしておいたもう一つの私。

そう、彼女の声と寄り添う事無く私は生きていました。

その子が、言葉を操り、感情を表現し、生きる事をさせていませんでした。

それはなぜか・・・?

私の中の本音を握っている存在だから。不必要。

この子の本音ばかり言っても、現実は動かせない。変わらない。

この子の通り表現しても、母に認めて貰えないから。と

私が黙殺したんです。

そこに罪悪感などはありません。

幼いながら、わずかに判断した「母への愛情を安心して得たいだけ。」

「ただ愛を得る手段として必要」だったんでしょうね。

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その存在を完全に黙殺していても、私は、力だけで、あらゆる事をやり進めて来て、それらを叶えて、

それなりの成功体験を重ねて行ったから、「ともこちゃん」を感じていませんでした。

 

しかし、その声を無視していた事の影響が、あっちにも!、こっちにも!!とすべての点が繋がって来ました。

この瞬間、感情を分離していた自分に気づきました。

そして、どこかで巻き起こった事に原因を見出だそうとしていた自分。

衝撃です。やはり、自分の中に答えはありました。

すべてに影響していた事は「自分への愛」が機能不全だったと言う事でした。

だから、それを「体感」&「立証」させるような事象が浮上していたんです。

見て来なかった感情すらも「自分への愛」で覆われているんです。これは、大きな気づきでした。

「愛」によって気づきを得たので、冬眠から目が覚めたような不思議な感覚でした。

 

今迄「ともこちゃん」を黙らせていたの事柄に対して、

【自分を責める感覚】や、【善悪を決める感覚】、【優先順位を決める感覚】もないです。

穏やかで、すべてフラットな感覚。

だって、そうさせた時点でも自分を守りたいだけだった。それも「愛」だったんだよね。

 

a58472e53fd5684c3798f5e407c5c3ce_mただ、「ともこちゃん」の言い分を聞いてみよう。。。

対話してみよう。。。遊んでみよう。。。

感じ忘れた感情を共有してみよう。。。 ただそれだけで 満足できました。

 

自分を愛しきらず、偏った軸足で生きて来た分、無駄に力を入れた私。

そこがふ〜ーーーっと緩んできました。

 

全て

「愛」の大きな何かで包まれていた。

まだまだ「愛」を理解出来ていないかもしれない。。。だから、面白い。楽しめる。

この気づきによって

確実に自分の♡が新たな鼓動を始めました。

きっと沢山、自分の中に忘れていた愛すべき自分が眠っています。

楽しんで、発見して行きたいと思います。

 

その②では、先日参加したワークショップで、ちいさな自分と対話をし、浄化をしたエピソードを

シェアさせて頂きます。

よろしければ、ご覧下さいね