皆様こんばんは。。。
あっと言う間にGWも終わりました。それぞれに楽しい時間をお過ごしだったかと思います。
本日は、本当に良いお天気で、気持ちも晴れ晴れ〜
。昨日の寒さは何だったんでしょうね
?
例年、この位の時期だと気温も安定して快適なのですが、今年はどうしたんでしょうね
なかなか安定しない気温に体調も崩しやすくなりますから、どうぞお体ご自愛くださいませ。
間もなく「母の日
」が来ますね。
母親を意識する日が近いので、私の母親とのエピソードを綴りたいと思います。
私は、「母親の事が 大嫌い」でした。
「子供っぽい、あの人みたいにはなりたくない」、「私の事より自分の事優先」、「わがまま気まま」と挙げればキリなく出てくる。
母は、私の事は全く理解してくれようとはしてくれない。
挙げ句「あんたは ほんまにうっとうしい」「かわいくない子やわ
」「難しい事ばかり言う子や
」と
ばっさり切り捨てられる事も沢山。
そりゃ〜 こんな風に言われたら だれでも嫌になりますよね。次第に自分の気持ちを母へ話す事はしなくなりました。
沢山口喧嘩もしましたが、どこか本音の感情を爆発させる事はせず、さらーーっと対応していました。
なぜ爆発させなかったかって
一生懸命まじめにバリバリ仕事をして生活を支え、妻としても母としても(それなりに)こなしてくれているので
文句は言い切れませんでした。この時の精神状態は、いっぱいいっぱい
そしてシータヒーリングに出会い、母との確執を取り上げる機会がやってきました。
色々な角度から思い込みの土台へたどり着くまでに、傷ついたインナーチャイルドの癒しも受けながらの、、、
着地点とは・・・
「なぜ、こんな母親像を自分の前に作っていたのか・・・?」
「なぜ、その母を見さされ続けているのか?」といった部分がカギ
でした。
「私は、母のように、どんな時でもありのまま
率直(ストレート)な表現をする人になりたかったんだ。」
それを望んでいたんだ・・・わたし。
実は、そんな母の振る舞いを憧れていた腑に落ちた瞬間でした。
長年、押さえ込んだ感情を抱えながら、心の奥底では、素直に感情表現したいと渇望していたんですね。
その気づきのお手本役者として母が存在してくれていたんです。
そこで「自分の感情を表現しても大丈夫である」「感情表現しても受け入れられる感覚」「母に愛されている」感覚感情をダウンロードして、「母の役割を解放」もしていきました。
すると・・・。私の中で、母を見る尺度が変わりました。
気ままな母の言う事に、ジャッヂしない自分がいました。
母の感情表現を、すんなり受け入れられる様になったこと。
なんだかんだ嫌みを言われても、根本には親の愛を感じられるので気にならなくなった。
これも母の強烈な個性だと感じられる様になった。
すると、母との会話も普通にしやすくなり、話の中で感じた自分の喜怒哀楽をしっかりぶちまける事が出来たんです。
自分勝手に都合良く握りしめていた、解釈違いの思い込みが
するする〜っと緩んだ。
大阪と東京、離れて暮らしています。
先日父の手術で私が帰省した時、疲れているにも関わらず「遅くなったけどお昼食べに行こう」と誘ってくれました。
私は、母も疲れているし「またでいい〜よー。」と言うと、「いいやん、せっかくやから行こうよ」と。
「気をつかわんと してよ〜、ほんまに。また来たとき行こうや」と私が言うと。
「親の気持ちやんか 受け取ってちょうだいよ だから 行こうや」と。
自分がしんどくても、子供を想う気持ちがいっぱい詰まった
愛情ある言葉を聞きました。
けっして言い回しが上手な母ではありません。
これが、彼女なりの子供の愛し方、表現の仕方であると改めて感じました。そして、素直に受け取れた自分。
こんな形の愛じゃないとわかりませーん。
私は、そんな表現は望んでないのでその愛は受け取りませーん。や、自論の枠に当てはめて相手を見ようとしたり、
あらゆる条件付けをしていた自分から卒業出来た瞬間で、
母が大っ嫌いからもサヨナラ〜。
遅いお昼を二人で、美味しく穏やかに頂いたひと時でした。単刀直入型な母なので会話も、アレレ??って程、
噛み合ない事も炸裂しますけど(笑)
ともかく、産んでくれてありがとう。と言うシンプルな感謝の気持ちです。
母の日を前に少し語ってみました〜。
自分の望む愛の形だけが、愛だと思っていませんか?
すこし感覚を澄ましてみれば、
自分の周りに、愛は沢〜山、溢れています。
愛されない事を前提に、
生まれ来る命は一つとして無いんです。
ゆっくり感じて「愛」思い出してみませんか・・・。
シータヒーリングでは、あらゆる潜在意識の思い込みに働きかけ、新たな感覚感情をダウンロードする事で、さらに快適に人生を創造し、前進出来る方法について、お話を伺い、お客様自身が納得し、
「どうなりたいか」をご自身で決めて行けます。
大きな問題点の土台に、一度でたどり着く事もあれば、数回かかって導かれる事もあります。
私も数多くのセミナーを受けて行くにつれ、核となる部分があらわになり最高のタイミングで解放を迎えました。
問題解決までの壮大なプロセスは、創造主の最高最善の計らいで、宇宙の流れでもあります。
今、うまく行かないと感じる事も、その先にある解決へ・・・必然の流れに沿っているという事。
人は、一人では生きて行けません。
人を介して、育まれる良さを改めて感じられるきっかけ。。。
全ては 無条件の愛により、創造が始まる・・・シータヒーリング。
セッションに必要な導きやテクニックは、
創造主からのその方への最高のギフト。
ギフトの配達人が私たちプラクティショナー
(実践者)の役割。
これが、今、私の感じるシータヒーリングです。
今宵のブログは長くなりました。
どうぞ、素敵な母の日をお迎え下さいませ〜。
これまでお読み頂き、ありがとうございました。